それはまるで硝子の庭の如く

 ――ああそういえば、と。
 静かに響いたその声には何の色も透けなかったけれど――まあそれはいつものことでもある――ああ、だが、そう、どこか重たい気を纏っていて。
「この間は悪かったな」
「……ああ、いいんですよ、三番隊は総出だったでしょう。それに……あの子はウチの隊の子でしたし……」
 出かけようと自室の障子に手をかけたところで、沖田は同室の斎藤に話し掛けられた。一寸、何のことだか理解しそこなった沖田だが、すぐにそれが何か思い当って僅かばかり表情を変えた。
 先日の、隊士粛清のことだ。
「それにだいたい、ソレが全部あなたの仕事ってわけじゃあないでしょう、一さん」
 そう軽く苦笑して見せた沖田だが、その顔には痛みがまだ張り付いていた。ああやはりまだ引き摺っているのだと、斎藤は心の内で苦く呟く。
 誰の目から見ても、沖田はあの新米隊士を弟のように可愛がっていた。だが、何とはなしに「あやしい」と初めに言ったのも沖田であった。いや、近くにいたからこそ、気付いたか。
「そうだ。だが、あんたの仕事でもないだろう」
 本来沖田には、あまりこういう「仕事」は回って来ない。基本的に向いていないのだ、その太刀筋が。それに彼は良くも悪くも目立つ。
 逆に斎藤はこういったことをよく任される。内密なものの筈だが、これは今では、組内の公然とした秘密になっている。特に幹部は良く承知していた。先日の件も本来なら斎藤が当たる予定だったのだろうが(新米と言う割には彼の隊士は腕が立ったので)、ちょうど大捕物と重なり斎藤は屯所を空けていたのだ。
 そこで土方が代りに沖田へ申し付けたのは――鬼の顔には相応しくない沖田への気遣いだと、斎藤も、勿論沖田も承知している。
 決着は自らの手で――せめて。
 
 古びた畳の上に沈黙が落ちる。苦笑したままの顔で固まってしまった沖田の目を、斎藤の透明な視線が貫く。斎藤は表情の変わらない男だが、内心まで無表情と言うわけではない。これでも心配しているのだと言うことを、沖田は知っていた。
「……そうですね。ええ、組の仕事です」
 ふと、沖田が儚く笑った。しかし瞬きの間にその表情は綺麗に失せ、常の笑顔に戻っていた。そうして彼はぐぐっと大げさに伸びをして、再び斎藤に背を向け戸に手をあてる。
「じゃあ私、ちょっと子供達と遊んで来ますね。約束してるんです」
 そう言って出かけて行く沖田の背を、斎藤は見つめるしかできなかった。

 ――彼の心はまるで玻璃の器だ。
 それは硬く、様々な色を映すが透明なままで、信念は決して移ろわぬ。
 だが、衝撃には弱く、一度罅が入れば脆くも崩れ去るだろう。
 しかし壊れても彼は、その欠片を集めて再び美しい器を仕上げてしまう程度には強い。
 ――ただ、それがいつまで続けられるかは、斎藤にはわからなかった。
 体の動く内は良い。その内は心にも余裕がまだあるだろうから。
 
 けれど、斎藤は知っている。
 紅の花を散らし、嫌な咳をする彼を。

「ああ、一。あんまりに静かだから居ねぇのかと思ったよ。副長殿が探してたぜ」
 沖田と入れ替わるように顔を出した永倉に礼を言い、斎藤は畳を立つが、ふと思いついて永倉に問うてみた。
「剣以外の道を、選べますかね」
 誰が、とは言わなかった。しかし通じたのか通じなかったのか、廊下を引き返していた永倉は刹那目を見開いて振り向き、すぐに何かを考えるような遠い目をして静かに告げた。
「あいつにゃ、無理かもな」
 ま、どいつもこいつも真っ直ぐで不器用だがね――と、茶化すように付け足して、今度こそ永倉は板張を軋ませながら歩いて行ってしまった。
 斎藤も、土方の部屋へと歩みを向ける。自嘲の笑みが僅かに口元に浮かんだ。

 ――誰も彼もが不器用な生き方しかできないのは、疾うに知っていたのに。

既に結核を発病している沖田とその周囲。斎藤視点。
 
玻璃(はり)......ガラスの別称。

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