――ああ、またこの季節が来てしまった。
 
 黒髪金眼の青年は、大きなオレンジのカボチャとスプーンを手にして溜息を吐いた。
 なぜ自分がこんなことをしているのだろう。毎年毎年、何かと理由を付けて同居人――彼女は飼い主だと言い張るが――は、自分に何かしら手伝わせている気がしてならない。
 ――とは思うものの、刹那主義な上に物臭な彼の脳には、過去云十年(もしくは、云百年)のハロウィンの様子が一々記憶されているわけではないのだ。ただ、彼はこの時季特有の急かされるような雰囲気が嫌いであり、必ずと言っていいほどサボタージュを決め込もうとするのが習慣だ。まあ、だからこそ、何だかんだと理由を付けられて、口達者な魔女に使われているのではあるのだが。
 宴に交じり享楽に耽る一夜を過ごすのは、彼も悪いとは思わない。
 しかし、そのための準備を自らしなければならないのなら、別に普段通りの夜で構わないと思うほどに彼は物臭であるし――大勢の同族達と話に花を咲かせるより寝ていたいなどと言うような、枯れた隠者のような考えすら持っている。
 つくづく、彼はこういったイベントとは性が合わないらしい。
「ネグロ! 手が止まってるじゃない!」
 彼がうだうだとそんなどうでもいい言い訳じみたことばかり考えていると、件の魔女から叱責が飛んだ。彼女の手には、彼と同じものがある。サボっていた彼とは比べ物にならないほど、そのカボチャはくりぬかれていたが。どうやら今年は、狼男を手伝いに引っ張り込むことに失敗したようだった。
 そこでまた彼の思考は空を漂い始める。
 ――ああ、それにしても、「黒」なんてあまりに単純なあだ名を彼女は付けてくれたものだ。彼女は生粋のエスパニョーラ、イベリアの地に生まれ育ったらしいが、その陽気な気風はこんな所にも影響を与えているのかもしれない。――ああ、でも彼女なら例え生真面目なドイッチェだったとしても、「シュバルツ」なんぞと付けてくれるような気もする。
 もう一度言っておくが、コレは彼女が付けたあだ名であり、自分の名前はネグロではなく――ああ、止めておこう。どうせ我が本名は長く堅苦しく、世間の皆にはあまり好かれないのだ。
「ネグロ!!」
 琥珀の瞳の魔女が眉を吊り上げ、声を張り上げた。どうやら、ネグロにはぼうっと物思いに耽っている暇はないようだった。現実逃避に徹していた思考を無理矢理引き戻し、溜息を一つ吐いてから、ネグロはいつの間にか足下に転がしていたカボチャを再び手に取った。
 
 ――まったく、使い魔、いや、使い猫使いが荒いったらない。

 古びた煉瓦造りの家は着飾って、どこか誇らしげに佇む。
 この街外れの家にまで届く、子供達のはしゃいだ声に魔女は笑みを浮かべた。
 いつしか時は昼を後にし、黄昏を背に夜を迎えようとしている。
 祭りまでの時間は迫り来る。

 ネグロはサボりつつもなんとか完成させた、一際大きなランタンを玄関に飾り――ふと朱に染まる宙を見上げてにやりと笑った。
 大仰に礼をして見せ、空に向かって話し掛ける。
「おやジャック。今年は宴に参加しないのか?」
 何もない筈の空間が、僅かに笑うように歪んでその声に答えた。
「ああ、今年は遠慮させてもらうよ。皆で楽しむと良い」
 肌寒い秋風が色とりどりの落ち葉と共に、ネグロに纏わりつく。彼はその風に吹き消されないようにしながら、マッチを擦りランタンに火を灯す。
 そして金眼を夕陽に光らせて言う。それと同時に姿なき声も楽しげに告げる。
 
「「良いハロウィンを」」

 木々がざわめいて揺れる。
 東西南北各地から集う同胞達の囁きが聞こえる。
 日が沈み夜の帳が静かに下りてくる。
 
 そして夜色の猫は金眼を爛々と輝かせ、煌々と焔を燻らすランタンの上で歌った。
 
 
「謳歌せよ、夜を、宴を。今宵集いし者どもよ、ジャックの名の下に」
 
 
 辺りから歓声が響いた。

 街の子供達が練り歩いて来る。
 可愛らしく、あるいは不気味に仮装した子供達がやって来る。
 
 ドアの前に菓子の詰まったバスケットを持って立つのは、今年も黒髪の青年だった。
 
 無邪気な声達が揃って一つの科白を言った。
 
 
 
「Trick or Treat!」

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